向笠の歴史

東南海地震(昭和)

東南海地震(昭和)
昭和19年(1944)12月7日、13時38分に大地震(だいじしん)が起(お)きました。
マグニチュード8.3。大正12年の関東大地震(かんとうだいじしん)よりも規模(きぼ)の大きいものでした。
当時、太平洋戦争(たいへいようせんそう)が激(はげ)しく、日本が負けそうになっていたので、軍部(ぐんぶ)が報道管制(ほうどうかんせい)をして被害(ひがい)の様子(ようす)はくわしく知らされませんでした。今のように、テレビや新聞やインターネットなどで情報(じょうほう)があっという間に伝わっていくのとは大ちがいですね。

向笠地区は、358戸のうち、全壊(ぜんかい)122戸、半壊(はんかい)130戸で、死者(ししゃ)も2名でました。太田川流域(おおたがわりゅういき)の軟弱地盤(なんじゃくじばん)の辺(あた)りで被害(ひがい)が大きく、台地上(だいちじょう)の固(かた)い地盤では被害が少(すく)なかったそうです。
当時(とうじ)、地震(じしん)にあった人の話が伝(つた)えられています。
その日は、12月とは思えない異常(いじょう)に暖(あたた)かい、風もない不気味(ぶきみ)な日でした。昼食(ちゅうしょく)をすませて仕事(しごと)に取りかかったころ、地震(じしん)が起こり、その1、2分後に大ゆれとなりました。地面が1メートルも左右に動(うご)いて、家がアッという間(ま)に倒(たお)れ、空も暗(くら)くなりました。
外で働(はたら)いていた人々の話では、地面(じめん)が波打(なみう)って大きくゆれ、山の木は台風(たいふう)のごとくザーザーと音を立て、はっていても人がコロコロ転(ころ)がされ、農耕(のうこう)の牛(うし)も倒(たお)れ、田からは地下水(ちかすい)が吹(ふ)き上がり、道(みち)も雨上(あめあ)がりのようになったそうです。

2013/02/03
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