向笠の歴史

古墳(弥生時代~)

向笠小の近くには、多くの遺跡(いせき)があります。
平地(へいち)に中村遺跡(なかむらいせき)、笠梅遺跡(かさうめいせき)などが、河岸段丘上(かがんだんきゅうじょう)に権現下遺跡(ごんげんしたいせき)、岩井遺跡(いわいいせき)があります。台地上には、新豊院山墳墓群(しんぽういんさんふんぼぐん)、新屋原古墳群(あらやばらこふんぐん)、権現山遺跡(ごんげんやまいせき)、屋敷山遺跡(やしきやまいせき)、竹之内原遺跡(たけのうちはらいせき)、東原遺跡(ひがしばらいせき)、こしき塚古墳などがあります。
弥生時代(やよいじだい)の墓(はか)や集落跡(しゅうらくあと)に加え、古墳時代(こふんじだい)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)、円墳(えんぷん)が見つかっています。

みなさんは、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と言うと、教科書(きょうかしょ)の写真(しゃしん)で見たような近畿地方(きんきちほう)の大きな天皇陵(てんのうりょう)を想像(そうぞう)するかもしれません。
ああいった大きな古墳は、平地(へいち)に造(つく)られ、周(まわ)りに掘(ほり)をめぐらしてありますね。しかし、向笠地区にあるのは、台地の端(はし)の地形(ちけい)を利用(りよう)して造られた墳墓(ふんぼ)で、規模(きぼ)もずいぶん小さくなります。これは、当時(とうじ)の政治(せいじ)の中心地(ちゅうしんち)から遠(とお)く外(はず)れていたためで、墓(はか)に葬(ほうむ)られた人は、地方(ちほう)の豪族(ごうぞく)や役人(やくにん)だと考えられています。
向笠にある古墳(こふん)が小さいと言っても、新豊院(しんぽういん)の前方後円墳は全長(ぜんちょう)約(やく)34m、桶ヶ谷沼(おけがやぬま)西のこしき塚古墳は円墳(えんぷん)で直径(ちょっけい)は約36mもあります。小学校のプールの長さの1.5倍もあるのですから、これだけのものを造るには、多くの手間(てま)がかかったことには、変わりありません。
権現山(ごんげんやま)ビオトープでは、池(いけ)を掘(ほ)ったときに出た土で前方後円墳の形の小山(こやま)を造りましたが、土を盛(も)るのも形(かたち)を整(ととの)えるのも、人手では大変(たいへん)でした。

2013/02/03
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